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読売新聞ホームページ四国食紀行に取り上げられた記事です。

贈答のカレンダー

日本の美しい季節感を味わってください。
 一月  (睦月)正月(年賀)
 二月 (如月)厄払い 節分
 三月 (弥生)節句 卒業・合格祝
 四月 (卯月)入学祝 転勤
 五月 (皐月)端午の節句
 六月 (水無月)中元
 七月 (文月)七夕 中元
 八月 (葉月)盆 中元
 九月 (長月)敬老の日
 十月 (神無月)体育の日
十一月 (霜月)文化の日
十二月 (師走)歳暮

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1月 正月 正月には屠蘇を飲み、雑煮をいただく
お屠蘇
(元は薬)
 正月には屠蘇を飲む。近頃では面倒なので酒やビールで代用している家庭が多いようだが、乾杯のつもりだろうか。乾杯だとしたら一気に飲み干して、杯の底を相手に見せねばならないだろう。また、自分のコップを相手のコップに触れてカチンと音をさせるのは、西洋風にいえばギリシャ神話の女神へカテーが酒の中にひそんでいて人を惑わすので、カチンと音を出して驚かせ、ヘカテーを追い出すためといわれているためである。

 屠蘇は、肉桂、山椒、大黄、白術、桔梗、細辛、乾姜、防風などを三角の紅のきぬ衣に入れて酒や味醂に浸したものである。屠蘇とは、鬼気を屠絶し人魂を蘇生させるということで、一年中の邪気を払って延命長寿を願うために飲む酒である。
雑煮と餅 正月の食事は雑煮から始まる。元旦の朝、雑煮を食べる習慣は、現在どこの家庭でも行われているようである。一年中何となく餅がある時代になって、餅にさほどの関心がなくなった現在でも正月に餅は欠かせない。「餅代」という言葉が暮れのボーナスの代弁をしていることからみても明かであろう。正月の飾り付けなどしない家庭でも、雑煮の餅で正月を迎えるのである。

地方によって違う雑煮
北海道 --すまし仕立て、赤味噌仕立て(十勝)/角餅(焼く)
東北 --すまし仕立て/角餅(焼く)
北陸 --すまし仕立て、丸餅(ゆでる)
関東 --すまし仕立て、丸餅(ゆでる)
中部 --すまし仕立て、角餅(焼く)
近畿 --白味噌仕立て、丸餅(ゆでる)
中国 --すまし仕立て、丸餅(ゆでる)
四国 --すまし仕立て、白味噌仕立て/丸餅(ゆでる)、あん入り(焼く)
九州 --すまし仕立て、丸餅(ゆでる)

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2月 厄払い 社会的肉体的な曲がり角。
数え年で、男性は25歳、42歳、61歳、女性は19歳、33歳が厄年とされています。とくに男性の42歳と女性の33歳は"大厄"といわれ、その前年を前厄、翌年を後厄と呼んでいます。

 厄年になった人は、危難に遭うことが多いとされ"厄払い"とか"厄落とし"と称して、厄除けの神社にお参りすることが多いようです。

徳島県日和佐町の薬王寺
 徳島県で厄払いに有名なのが、海部郡日和佐町の薬王寺です。毎年2月22日に初会(はつえ)式が行われ、県内外から厄払いに多くの人が訪れます。寺の山門をくぐると、三十三段の女厄坂、四十二段の男厄坂があります。厄年の人が一段ごとに一円玉を置いていくと、厄除けになるといわれています。
 宍喰町では、前厄の年の初午(はつうま)の日に餅をついて厄除けをします。前日から親類や友人が駆けつけて準備し、直径20センチ位のあん入りの丸餅を二つずつ近所の人や親類に配ります。夜になると、自宅では人を招いて宴会をします。

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3月 節句・彼岸 初節句
赤ちゃんが産まれて始めて迎える節句が初節句である。女の子は三月三日、ひな祭りとして桃の節句を、男の子は五月五日に端午の節句を祝います。

彼岸のおはぎ
彼岸には「おはぎ」を食べる。おはぎは地方によっては「ぼたもち」と呼び慣わされている。そもそもぼたもちは、日本古来の太陽信仰によって、春には豊穣を祈り秋には収穫を感謝して、太陽が真東から出て真西に沈む春分・秋分の日に「かいもち」として神に捧げたものであった。それが彼岸の中日が春分・秋分であるという仏教の影響を受けて、彼岸に食べるものとなり、サンスクリットのbhuktaやパーリ語のBhutta(飯の意)が「ぼた」となり、mridu , mudu(柔らかい)が「もち」となって「ぼたもち」の意が定着したのである。

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5月 節句・彼岸 男の子の祭り
端午の節句は武者人形を飾ったり、鯉のぼりを立てたりしてこどもの成長を祝います。かつては一部の人の間で「よろい・かぶとを飾るのは時代錯誤」との考え方もあったようです。それはともかく、この風習は今なお引き継がれて、古くからの伝統として息づいています。
また、鯉のぼりの鯉は「黄河の急流にある竜門を登りきった鯉は龍に化す」という中国の故事を踏まえたものです。立身出世を思わせ、力強くたくましい成人になることに通じる縁起物だと考えられていました。今では、五月の風に泳ぐ鯉のぼりは初夏を彩る風物詩として欠かせません。

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6月 お中元 起源
 盆には健在の親、仲人、師などの親方筋をを訪問し、心のこもった贈り物をする、盆礼という習慣があった。
 盆礼には索麺、麦粉のほかにサバ、ブリ、コノシロなどの生ものを贈ることが多かった。盆礼に心を込めて贈る生飯(さば)が本来の意味を失って、音の縁起をかついで「鯖」となったものである。

「中元」は本来、七月十五日のこと
 お中元の贈答の品は六月下旬から七月十五日までの間に贈るのが一般的なしきたりです。この時期に贈るときは、表書きを「お中元」としますが、もし都合で十五日を過ぎてしまった場合、「暑中御見舞」と表書きするのが正式です。また、立秋(八月八日ごろ)以降になると「残暑御見舞」としますが、それも八月末日までです。

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11
節句・彼岸 祝うことによってめでたい

七五三
 七五三は子供の成長の節々に厄災に対する抵抗力、子供の歳祝いです。奇数がめでたい数であり、また体調の変わる年齢でもあるので、七五三として子供に成長を自覚させ、同時に親も過保護の戒めとしました。
七五三の祝いはめでたいから祝うのではなく、祝うことによってめでたくする信仰です。

千歳飴
 数え年で三歳、五歳、七歳の十一月十五日に親子で神社に参拝し、子供の無事な成長に感謝し健康を祈るのが七五三です。宮参りの衣装は母方の実家が贈るのが習わしになっております。御祝いを頂いている人へは、お参りの後に千歳飴や赤飯を持って子供と一緒に伺います。千歳飴は長い紙袋に入っていることから、長寿と健康を願う縁起物とされています。

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12
お歳暮 感謝の気持ちを贈る

御歳暮の始まり
 新しい年を迎える「神祭り」の供えものとして、分家した者は本家へ、嫁いだ人は親元へ、品物を持っていったのが始まりといわれています。もともとは年越しのための食料品で、海に近い家では、塩鮭、塩ぶり、するめ、こんぶなどを、農業に携わっている家では収穫物の野菜や米、餅などを贈りました。現在、年末になると贈答用として出回る新巻鮭は、年神様に供える祝い肴の名残りといわれています。
本来が正月用品だったこともあり、江戸時代には正月準備にとりかかる十二月十三日の「事始め」から贈るのがならわしでした。


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